役に立たないビュフェ

 昭和33年にデビューした電車特急「こだま」に連結されたビュフェ。鉄道趣味誌などでは「新しいコンセプトの列車なので新しい供食サービスを考えた。」などと記述されているが、当時のビュフェは食堂車の代わりとはとても呼べないお粗末な物だった。何といっても厨房にコンロなどの熱源がない。当時は電子レンジが実用化されていなかったため、後にビュフェの定番となるカレーや鰻は出せない。食べ物といえばサンドイッチとコールミート、それとカウンター販売の積み込み弁当ぐらいしかなく当時から本格的な食堂車を望む声があったという。

 ビュフェを導入した理由として一般に「スピードアップのため車内で食事をする人が減る。」「当時の食堂車は高級レストランなのでビジネスマンに合わない。」といった説明がされているが説得力に欠ける。「こだま」の東京〜大阪間の所要時間は100系新幹線の東京〜博多間より長いし、ビジネス特急としてのダイヤ設定上どうしても乗車中の食事が避けられない。また当時は3等車いえども特急は高嶺の花で乗客(特に2等車)に高級レストランが似合わないとは思えない。

 当初の「こだま」食堂車がなかったのはおそらく技術的な問題であろう。当時電気コンロは20系客車で開発中の新技術でタイミングよくフィードバックできなかった。かといって最新型電車で石炭コンロを使うのは担当者のメンツが許さなかったのだろう。まあ食堂車は技術的にあきらめるとしても、今度は売店や車販準備室で十分ではないかという疑問が出てくる。初期「こだま」の3倍の定員がある現在の「のぞみ」がコンパクトなスペースで弁当やコーヒーを扱っているのに、中途半端な供食設備のために8両編成の1両(半室が2ヶ所)も使うのはもったいない気がする。

 おそらく「こだま」のビュフェの真相は「ビジネスマンの息抜きのためのコーヒーカウンター」なのではなかろうか? 立食だから喫茶店ほどくつろげないし立ち呑みバーは客層に合わない(急行のビュフェはそのつもりだろうが)。かつての食堂車はただの飲食スペースではなく上流階級の社交場としての役割もあったため、特急である以上省略できなかったのだろう。現在の特急の感覚だと理解しにくいが、鉄道誌の食堂車特集を読んでそんな気がしてきた。食堂車が無理ならビジネス特急らしくコーヒーカウンターで、そんなところだろう。

「つばめ」の電車化が決まるとさすがに食堂車が必要ということですでに登場していた20系ナシ20をベースにサシ151が開発され、運用の効率化のため「こだま」もパーラーカーと食堂車を連結した豪華編成に統一されてしまい、ビュフェは早くも存在意義を失ってしまった。にもかかわらず、その後国鉄は懲りずにまたビュフェを作った。

注:「つばめ」の電車化時に1等車が廃止されて2等と3等が繰り上げられた。これ以降の等級表記は繰り上げ後のもの。

 今度は急行用のサハシ153である。しかしこの車両が作られた時点ではまだ電子レンジは実用化直前(後に本形式でテストされた)なので、デビュー当時のメニューによると熱ものはトーストとゆで卵ぐらいしかない。いくらすしカウンターがあるとはいえ、それまで食堂車を連結していた客車急行の置き換え用としては貧弱ではないのか? 

 この時の153系急行の編成はビュフェに行く客が1等車を通り抜けるのを防ぐため2両のビュフェが1等車を挟んでいる。食堂車2両はもったいないから半室ビュフェ2両にしたのだろうか。確かに当時は階級意識が強く優等車両の通り抜けを現在以上に嫌う傾向があったが絶対ではなかった(80系気動車やスハフ43など先頭車・緩急車が2等車の場合)。優等車通り抜けを防ぐという理由だけでは供食設備のレベルを下げる理由として弱い。それにどうしても2両で挟む必要があるならスハシ38のような半室食堂車という手もある。

 結局急行のビュフェはすしが好評で、後から電子レンジが実用化されてメニューが大幅に改善されたため結果的には成功に終わっている。しかし当初の”メニューに乏しい”ビュフェを導入した国鉄の意図はうやむやになってしまった。

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