和倉温泉への道
参考文献:「鉄道ジャーナル」1989年8月号
分割民営化を控えて思考が柔軟になっていた国鉄は、大阪から当時非電化だった七尾線の和倉温泉へ直通列車を走らせる計画を立てた。
非電化区間では電車に冷房・照明用の電源車を連結してディーゼル機関車が牽引する、電車に駆動用電源車を連結して非電化区間を自走する、客車列車をそのまま直通させる、といった案が出された。このうち電車が非電化区間に乗り入れる案は、トンネルの改修が必要らしく(中央東線・身延線の低屋根車でないとパンタをぶつけるのか?)見送られている。結局「手間やコストは最小限」「乗り継ぐより遅くならない」という条件から、気動車をトレーラー扱いで電車特急に併結して非電化区間のみ自走する案が採用された。キロ65形「ゆうトピア和倉」の誕生である。
しかし「ゆうトピア和倉」は電車に負担をかけないよう2両編成なので輸送力が小さい。またグリーン車なので利用できる層が限られる。関西圏に和倉温泉を宣伝する看板にはなれても収益はわずかだし、和倉温泉アクセスがバス主体という現状を変える力はなく根本的な解決にならない。
「手間をかけない」「できるだけ速く」という条件であれば181系気動車を直通させればよかったのではないか? 線路がよい北陸本線であれば181系でも120km/hで走行でき、停車駅を最小限に絞れば北陸線内で電車特急と同じ所要時間になる。「ゆうトピア和倉」登場時は「まつかぜ」の廃止、「いそかぜ」「おき」の短編成化、四国への185系投入があったので181系を1編成ひねり出すのは容易だったはずだ。
181系のエンジンの信頼性が低いので幹線をフルパワーで爆走することを恐れたのかもしれない。しかし東北本線を120km/hで走った「つばさ」のエンジントラブルは板谷峠の急勾配が理由だし、「しなの」のエンジントラブルはキサシを外すことで改善されている。北陸線を181系が走った実績がない(JRになって臨時列車が走っている)とはいえ、キロ65の改造に比べたら運転士やメカマンの訓練ぐらいどうってことない。
金はかかるし、同時期に別部署でやっていたことだから間に合わないだろうが、当時の最新型気動車183系500番台を導入するという方法もある。JR九州の「オランダ村特急(現ゆふDX)」はこの考えで作られた。電化区間を485系と同じスピードで走るだけでなく485系と併結して強調運転もできるという野心作だったが、ハウステンボスまで電化されたため無意味になってしまった。
「ゆうトピア和倉」は好評だったようだがその後の改善といえば第2編成「アストル」を投入して運転日が増えた程度。和倉温泉アクセスの根本的な解決は結局七尾線の電化を待たねばならなかった。
ところで電化の少し前、「ゆうトピア」と同じ被牽引タイプの気動車(「リゾート&シュプール」と呼ばれているが同名の14系客車もあり正式名称不明。「エーデル」とも混用されず特異な存在。)が富山地鉄に乗り入れている。当時はJR西日本に485系の3両編成がなかったのが理由だが、電気鉄道へのディーゼルカー乗り入れがよくできたものだと思う。名鉄の「北アルプス」が乗り入れていた頃に気動車免許を取った運転士が残っていたからか? 後年電車の「サンダーバード」でさえ技能や手当で労組とモメて乗り入れ中止になったことを考えるとバブルならではの出来事といえるだろう。