東日本一周乗り鉄
後編 最後のA寝台車

青森駅には寝台特急「あけぼの」が停車していました。
新幹線に見放されたこの駅から東京方面に直通する唯一の列車です。
EF81は前「北斗星」用と同じ赤色ですが流星は無し。

青森駅はホームと駅舎が離れていて長い跨線橋を渡ります。メモリアルシップ八甲田丸の位置からみて、おそらくこの不自然な空間に船に載せる貨車を留置するヤードがあったのでしょう。

駅舎には旅行センターや青い森鉄道のきっぷうりばがあり、また駅前はバスターミナルや銀行などのビルがあり典型的な都会に見えるが、駅そのものは青函連絡船時代から「時が止まった」ように見える。ホームや跨線橋は古いままで桟橋方面の跨線橋が閉鎖(駅と繋がらない自由通路化)された程度の変化しか見えない。これが函館だと桟橋方面の線路を撤去して頭端式ホーム化(全ホーム階段不要)で、駅前再開発で駅舎も新しくなっているが、青森駅は駅が海に突き出して設置されており(函館は街のど真ん中に船を入れる格好)、頭端式にすると逆に不便になる。駅の位置や東西の往来を考えると橋上駅化するのが自然に見えるが、新幹線駅が別に設置され、また再開発による移転の話もあってカネを出しにくいようだ。

駅ビル「ラビナ」を少し物色した後、駅の北側へ歩く。新幹線開業と同時にオープンした新名所「A-FACTORY」が見えてきた。中に入ると野菜の匂いが。どうやら農産物の直売と名物料理のフードコートを兼ねた建物らしい。


上がベイブリッジ、下の建物がA-FACTORY。

雪の中をさらに歩くと海辺に出たが、寒いためか潮の匂いはしない。保存されている八甲田丸が見えてくる。

船の前には貨車航送用のレールも再現されている。見学時間は過ぎていてももう少し近づきたいところだが帰りの列車の時刻も近づいたので引き返すことにする。

これから寝台特急「日本海」で大阪に帰る。よほどの大都市でないと18時過ぎには駅弁屋が閉まっている傾向があるが、構内コンビニ「NEWDAYS」に駅弁「帆立釜めし(900円)」が残っていたので購入する。しかし皆様が青森から「あけぼの」「日本海」に乗るときはあらかじめ駅前で食べるか、ラビナ1階やコンビニでの弁当購入をお勧めする。

発車25分ぐらい前にホームへ行くとちょうど「日本海」が車両センターの入換機DE10の先導で入線してきた。牽引機EF81は最近珍しくなったローズピンクのノーマル塗装である。

さて、この「日本海」、以前から青森運転所の24系24形を使っていてJRになってから時刻表の編成表での変化が無い事もあり、「のりもの勝席ガイド」でも24系24形が使われているように書かれていますが、実際はA寝台車以外は元「あさかぜ」用の24系25形金帯車です。近年のブルトレ激減と寝台車老朽化のため手入れのよい金帯車を残してノーマルの白帯・銀帯はほとんど廃車されており、1両だけ連結されているオハネ24も「北斗星」用の引戸・金帯です。


2010年12月12日の上り「日本海」の編成表
(7,8号車非連結)

号車 形式 車体帯 備考
EF81 107 青森→敦賀 ローズピンク色
EF81 44 敦賀→大阪 トワイライト色
1 オハネフ25 117 折戸
2 オハネ25 152 折戸
3 オハネ24 3 引戸 元「北斗星」用
4 オハネフ25 125 折戸 ビス穴の腐食防止のためナンバーが白ペンキ
5 オハネ25 216 折戸
6 オハネ25 147 折戸
9 オハネフ25 202 折戸
10 オロネ24 4 折戸 現在は京都鉄道博物館で保存
カニ24 511 北海道対応の500番台

私は編成中唯一の白帯であるA寝台車に乗りこみます。このA寝台車はボックスシートの座面を引き出して下段寝台にする「プルマン式」と呼ばれるタイプです。昔は全国の特急や急行に連結されていたこのタイプのA寝台車も個室寝台の普及や老朽化による廃車で数を減らし、現在はこの「日本海」と583系電車の急行「きたぐに」にしか連結されていません。「きたぐに」は電車三段寝台からの改造なので本来のA寝台とは細部が異なっており、この「日本海」オロネ24が昔の一等寝台マイネ41や二等寝台オロネ10の伝統を伝える唯一の車両になっています。

青森でA寝台車に乗りこんだのは私1人だけでした。寝台はすでにセット済みだったので荷物だけ置きデッキ横の喫煙席に行きます。N700系のような立って吸うスペースではなく、下段寝台と同じ構造のボックスシートでミニサロンとしても使えます。テーブルもあるためここで駅弁を広げることにします。

「日本海」は19時31分に青森駅を発車。しばらくして新青森に停車。新幹線から弘前方面へのヒルネ需要があるのかブルトレも新青森に停まります。ホーム向かいの「スーパー白鳥」には785系改造のレア車が増結されていたのですがホームに出て写真を撮る暇はありませんでした。

新青森を出た時点では車内はガラガラで、ヒルネ扱いの6号車だけ高い乗車率でした。その後途中停車駅でパラパラ乗ってきましたが、それでも翌朝の時点でようやく半分を超えた程度だった気がします。

私の乗ってるオロネ24 4はなんと昭和48年製造、もう37年も昔の車両です。当時は東北新幹線の工事が始まったばかりで山陽新幹線すら全通していませんでした。そんな古い車両ですが、シートモケットとカーテンの色が変わった以外は新製時とほとんど変わってません。洗面台も蛇口が昔ながらのレバーですぐ戻るタイプで両手を洗うことができません。B寝台車が金帯化のときにセンサー式になってますからA寝台車のほうが見劣りがします。一応ペーパータオルが設置されていてサービスの格は保たれてましたが。


昔ながらの洗面所。右はリニューアルされているB寝台の洗面所。


「北斗星」「トワイライト」で撤去された冷水器も健在。
自販機がなく、車販も朝食時のみなので貴重な水分補給手段。

車窓も暗いので、駅弁を食べた後自分の寝台に戻ります。さすがにベッドは広いのですが荷棚がないため総合的な居住性ではB寝台と差があるようには思えません。むしろソロやシングルツインなどB個室寝台のほうがはるかに快適です。それでも今回わざわざ開放式A寝台に乗ったのは、幼い頃児童書でみたA寝台車のインパクトが強いと共に高級車という印象を刷り込まれていて興味があったためです。(…なんて書いたら年バレるな。今の若いテツはブルトレの原体験が「北斗星」だし。)

A寝台車の写真を何点か掲載。

ただこの開放式A寝台、昭和49年の二段式B寝台の登場時に不要扱いされたにもかかわらず現在でも結構利用されています。私が見た感じ、B寝台がガラガラな割にはA寝台は埋まっていた方でしょう。

こちらはB寝台車。「あさかぜ」「北斗星」の金帯車はモケットがブラウンだった記憶がありますがその後変更されているようです。
ちなみに私、このタイプの標準的な二段式B寝台は一度も利用したことがありません(幼い頃ヒルネで座っただけ)。
だいたい個室とか583系とかを選んで乗るため全く機会がありません。

やることも無いですし、まだ21時ですが寝てしまいます。途中何度か目が覚めましたが、睡眠は十分取れました。翌朝は5時半ごろに起きて着替えました。

さて現在のA寝台車は走行途中で寝台のセット・解体を行いません。そうなると昼間の身の置き方という点では二段式B寝台より困ったことになります。583系の三段式B寝台よりは高さがるのであぐらをかいたり仕切り壁にもたれることは可能ですがどうも落ち着きません。おかげで着替えた後も横になっている人もよくいました。喫煙席に行きましたが、ここは暖房が入っていなくて寒い。結局下段寝台のボックスシートの一方だけたたんで座席にしました。喫煙席とおなじ構造ですが、座り心地はまあまあです。

「JR時刻表」に車内販売の記載が「北斗星」「カシオペア」「トワイライト」しかないため敦賀の機関車交換時に駅弁を買うしかないと思っていたのですが、放送では福井から車内販売があるとのこと。福井から乗り込むのかと思っていたら、福井のホームに入るときに客用ドアの無い後ろからワゴンがやってきました。どうやら最後尾カニ24の荷物室で待機していたようです。北陸といえば寿司の駅弁が有名ですが、「百万石弁当」なる金沢の幕の内が目についたので購入しました。

敦賀では機関車交換のため19分停車。機関車の敦賀所属のため列車の運行途中に僚機と交代しなければならずタイムロスになります。EF81を大阪付近に配置できないものでしょうか? 交代でやってきたEF81はトワイライト色でした。敦賀のホームで目についた時刻表には新快速が載っており、もう関西のアーバンネットワーク圏に戻ってきたのだと実感させられます。

湖西線に入ると「サンダーバード」退避のため運転停車。同じ特急でもブルトレと最新型電車のスピードの差は歴然としています。山科から東海道本線に入り、見慣れた景色を見ながら10時27分に大阪に到着。こうして駆け足の東日本一周が終わりました。

最後に帰宅してのオチを一つ。今回JR東日本エリアに行くため、Suicaが役に立つかもしれないと思って2ヶ月前に上野で買ったSuicaを持って行こうとしたのですが見つからず、失くしたか実家に置き忘れたかと慌てたのですが、帰宅して荷物を片付けるときに見つかりましたorz

中編に戻る

旅行記に戻る