時の止まった駅

南海電鉄高野線の前身、高野鉄道が作ったターミナル汐見橋駅。かつて高野線の列車はこの駅から出発し、岸里玉出で南海鉄道(南海本線の前身)と立体交差して高野山方面へ向かっていた。しかし南海鉄道と高野鉄道が合併して現在の南海電鉄になると、大正末期に高野線の列車が難波に乗り入れるようになった。難波のほうが便利なので昭和を通してそれが常態化してしまい汐見橋は影が薄くなった。特に昭和末期から始まった岸里玉出付近の高架化工事によって立体交差が撤去されて汐見橋と高野山方面のレールが繋がらなくなると汐見橋と岸里玉出の区間は完全にローカル線になってしまった。難波や新今宮へ行く人の流れを外していることもあって大阪の人口密集地を走るにも関わらず電車が30分おきにしかこない閑散ぶり、おかげで線路や駅施設が古いままで半世紀前の鉄道の雰囲気を良く残している。

さて、そのマイナーなターミナルである汐見橋駅はいったいどこにあるのか?

実は阪神桜川駅のすぐ隣にあります。昔は地下鉄桜川駅から結構かかった記憶があるのですが、阪神の改札の目の前にある階段を上るとすぐです。それにしても難波から阪神で一駅とは思えないほど小さな駅ですね。

入り口から内部を撮影。改札の上にあるのは汐見橋駅名物「昭和30年代の沿線案内」です。

現在の駅舎が昭和31年にできたそうですからひょっとして完成時からこのまま?

さすがに劣化が激しく剥がれている箇所もあります。私が2002年に訪れたときはここまで酷くなかったので近年急激に劣化しているようです。

当時は阪堺電車も南海で、天王寺支線も健在なので路線図は結構複雑。

関西空港? なんですかそれ?

紀伊半島まで載っているのは1985年まで和歌山市から国鉄へ乗り入れる直通列車があったため。

売店なんてものはありません。
(ペタペタポスター貼っていて開ける気なし)

時刻表と運賃表。この画質でも1時間に2本しかないことがお判り頂けるでしょう。
せめて15分間隔なら地元の足になろうに…

改札口からホームを撮影。島式ホーム1面だけのシンプルな構造。昔は側線が多数あったのでしょうが。
ICカード対応の自動改札など、最低限の近代化はされています。廃止された水軒駅よりマシか。

電車がやってきました。最近の南海はズームカーが余りがちで古いズームカーを支線にまわしていますが、
この路線にズームカーは高野線らしくていいですね。
昔はこの車両もここから極楽橋まで直通したのでしょうか・

乗客は男が数人乗っただけ。私と同様鉄オタなのか? 2連はおろか単行でも輸送力過剰です。

途中駅もこのように古いです。

10分で終点の岸里玉出に到着。運転士は反対側の運転台に移動し、5分後に折り返します。1往復すると30分後の次の列車になるため複線どころか行き違い設備も必要ありません。

岸里玉出駅の高野線ホームへの通路から本線と高野線の分岐部分を撮影。南海本線が地平だった頃はここに汐見橋方面と高野山方面を結ぶ乗越橋がありました。

さて、こんな誰も乗らない路線なんで廃止しないのかというと、汐見橋からなにわ筋線に乗り入れて関空アクセス路線にする計画があるから。今は南海が既得権を確保しておき、いずれ地下化などの大改良をするつもりでしたが、どうやらその望みも絶たれようとしています。というのは最近の試算でなにわ筋線の建設は南海難波経由のほうがコストパフォーマンスが高いという結果が出たからです。難波付近に地下線への入り口を作るのは確かに難工事ですが、運転系統が汐見橋と難波に分散して手薄になるよりいいですからね。そうなると難波経由が正式に決まった時点で汐見橋線は廃止になると思われます。

さて、朝早くに寄り道しましたが、これからJR大阪駅に行って189系「はまかぜ」に乗ることにします。→続く

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