国鉄型車両乗り継ぎ旅行2011・後編

新井駅前をしばらく歩いて戻ると、「くびき野2号」が到着して折り返し整備中だった。しかしこの駅の主要な列車なんだし改札に面した1番線に停めろよ…

「くびき野」はもともと長野―新潟間の特急でしたが、県境を越える需要がなく新潟県南部から県庁へのアクセス列車として再編。その後JR東日本は何を思ったのか車両そのままで快速に格下げ、リクライニングシートの豪華な快速が生まれました。

その485系ですが、国鉄時代は全国各地で見られたのに今年になってJR九州とJR西日本から消滅(但し西日本では書類だけ183系にした元485系や波動用の489系が残存)、現在485系の定期運用があるのはJR東日本だけとなっています。首都圏では平成生まれですら廃車する会社なのに地方は意外と古い車両残ってます。

「くびき野」に使われる車両は特急「北越」「いなほ」と共通仕様のクロハ込み6両編成。座席はJR初期に交換されたリクライニングシートでしかも一部の車両はかつて「白鳥」「雷鳥」用デラックス編成に連結されていた座席の高床化、シートピッチ拡大された車両も混じっています。485系の中には国鉄時代の簡易リクライニングシートのマイナーチェンジタイプも残っているというのに「くびき野」編成は485系の中ですらも豪華な部類に入ります。本当にこれで特急料金不要とは… JR東日本新潟支社の太っ腹に驚かされますが、特急「北越」との格差がなさすぎて逆に問題がないのでしょうか?


かつて「上沼垂グレードアップ車」と呼ばれたシートピッチ拡大・ハイデッカー仕様のリクライニングシート。
モケットだけは3000番台と同じ色に変更されているようです。
もう一度言いますが、これは普通乗車券だけで乗れます。

新井始発の時点ではそれなりの乗車率(改札を通る乗客は結構いたが、6両編成の輸送力に対して微々たるレベル)でしたが、上越市内を各駅に停まって徐々に乗客が増えていきます。私はしばらく自由席に座っていましたが、脇野田に着いたところで最後尾1号車のクロハ481に移動します。脇野田から新潟だと営業キロが150キロに収まるため、ここからのグリーン券を新井駅で買っていたのです。1620円と同距離の特急の普通車自由席よりも安く、これで特急型車両のグリーン車に乗れるのだからとささやかな贅沢をしてみることにします。

1号車は手前が普通車指定席になっていますが、ここの座席は自由席よりも新しい座面がスライドするタイプになっており、また快速だからと自由席では省略されている枕カバーも付けられるなど多少の格差がついています。そこそこの距離の列車なので510円払って座る人が結構います。そしてこの車両の奥、先には運転室しかない袋小路に定員16人のグリーン室があります。座席は標準的な横4列タイプで、グリーン車としては標準的なタイプですが、JR初期にクロハに改造された時のままと見え座席の改良が進んだ現在では物足りなさを感じます。グリーン車の必需品といえるフットレストですが、高さが調製できないので脚が長いわけではない私ですら膝が曲がって負担がかかります(シートピッチが狭いと膝の負担も大きいので普通車にフットレストはいらない派)。グリーン室はガラガラですが、値段が手頃なこともあって私以外にも何人かは乗ってました。


グリーン車の座席。後で確かめたらピンボケしてるこれしかなかったorz

直江津で5分間の停車。ここで階段を登ってさっきの駅弁を買おうと思ったのですが、さっきのおっさんがホームに下りてました。特急と「くびき野」の停車時間にはエレベーターで屋台を下ろしているのでしょう。おかげで難なく名物駅弁の「鱈めし」を買えました。特急待遇の快速「くびき野」ですが、さすがに車内販売はありません(まあ今は特急でも無い方が多いけど、昔は快速でも時々あったが)。

直江津から柏崎までは海沿いを走ります。窓から海水浴場やキャンプ場が目につきます。越後線が分岐する柏崎からは内陸部にはいり、上越新幹線に接続する長岡に停車。長岡を過ぎると日が暮れて車窓が暗くなる。お腹も空いてきたのでテーブルに置きっぱなしだった「鱈召し」を食べる。ご飯の上に焼いた鱈や数の子など鱈を豊富に載せており容器の大きさのわりにボリュームもある。ちなみに同じ店から同じスタイルの「さけめし」も出ているが鮭の駅弁は他(特に北海道)にもあるので鱈が主力商品になっている。

快速に1扉の485系を使っているので混雑を心配したが、トイレのついでに自由席を覗くともう少しで座席が埋まるレベル。普段115系が3両で走る路線なので6両だと余裕あるようだ。

すっかり暗くなった19時29分に終点新潟に到着。ここで帰りの夜行列車「きたぐに」に乗るまで時間を潰すことにする。


新潟の115系。座席は改良されてます。

いまだに乗ったことがないキハ110.

列車を乗り継いではるばるやってきた新潟は夜になっても人の減らない大都会だった。新幹線に加え、磐越西線のキハ47やキハ110などのディーゼルカー、時間帯によっては蒸気機関車と賑やかな駅である。ところで改札に面したホームは特急が使うのが通例だが、この駅では優等はすべて階段を使わされる。「いなほ」は新幹線の隣のホームとしても、「北越」ぐらい1番線に停めろよ…

もう観光とかどこにも行く時間でもないので駅構内を歩いてマツモ○キヨシとヨド○シカメラを物色した後待合室のベンチに座り、持参したPSPで時間を潰す。

22時27分、3番線に大阪行き夜行急行「きたぐに」が入線。今回の旅のメインである583系に乗って帰ることにする。

583系「きたぐに」。終着の大阪駅で撮影。

583系は同じ車両を座席としても寝台としても使え、国鉄の車両製造数や車庫の建設を抑えるという目的で製造され、昼も夜も走るモーレツさは高度経済成長期を象徴していた。山陽・東北新幹線の開業でそこまでする必要がなくなり、逆に時代の変化で昼はボックスシートが、夜は三段寝台が「特急として」嫌われる半端者となってしまった。しかしガチなサービスを追及しない急行列車や臨時列車では「1編成車庫に留置するだけで多様な需要に対応できる」「電車でスピードが出るためダイヤ作成がブルートレインより楽:」などといった使い勝手の良さからJRになってからもシュプール号や甲子園臨で活躍してきた。特に大阪―新潟間の夜行急行「きたぐに」では座席需要も寝台需要もあることから同じ車両で両方対応できる583系は相性が良い。1985年に583系が「きたぐに」で使われ始めて今年で26年、「第二の人生」のはずが山陽線や東北線の特急で活躍した全盛期よりも長い。しかし国鉄時代にすでに厄介者扱いされながらもJRで大活躍した583系だがさすがに物理的な寿命には逆らえず、現存するのは「きたぐに」運用分30両とと仙台の波動用(ディズニーリゾート行き団体列車とかに使われるらしい)6両だけである。


大阪駅に一晩留置した後、高校野球観戦客のため甲子園口まで走っていたおそらく世界最短の夜行列車「ナインドリーム甲子園」。


北陸本線経由で直江津から信越本線の長野・軽井沢に乗り入れていた臨時急行。今復活させたらしなの鉄道のいい収入になりそうですが。

以上、「回送」から「きたぐに 大阪」に回す際にあわてて撮影した昔の臨時列車の幕でした。

さて、「きたぐに」は本来10両編成だが、今夜は増結されて12両編成になっている。波動用の車両は既に廃車されているので予備編成を崩しているのだろう。こんなことなら波動用少しは残しておけと…「シュプール号」廃止されても宗教臨とかで稼働率高かったのに。増結されていてもグリーン車・寝台車の指定券は売り切れ、自由席も途中から大勢乗ってくるので詰めてくださいとの放送。盆のド真ん中でさほど混むとは予想しておらず、実際2週間前でも車両中央下段のベストポジションが取れたのでこれだけの乗客がいるのは正直驚いた。

寝台券は持っているのだが、横になるまでのしばらくの時間を座席車で過ごすことにする。以前583系に乗ったのはオール寝台の「シュプール号」だったし、広いボックスシートは419系や715系で体験済みだが急行用として整備された583系の座席車に乗るのは初めてである。座り心地は上々で昔リクライニングの夜行バスでの寝不足を419系で補ったこともあるくらいである。しかしここで寝たら寝台取った意味がないので寝台車へ移る。

これが噂の「パン下」

久しぶりに乗る583系、せっかくだからパン下(屋根高さが中途半端で上段が設置できないパンタグラフ下の中段寝台)を試そうかと思ったがパンタの摩擦音がうるさいという話もあるしデッキかトイレにも近いのでどうかと思い王道の下段寝台で寝る。三段寝台とはいえ、中段寝台は座席時の背もたれの高さなので下段はそれほど狭さを感じない。座高が高くない限り上体を起こすことは可能である。もっとも年を取って体が硬くなれば横になったまま備え付けの浴衣に着替える器用なマネはできなくなるかもしれないし、そもそも直立できないので着付けがちゃんとできない。客車寝台と違ってボックス内に立てず荷物棚も無い。たしかに不便な車両である。しかし横になってしまえば広々としているのが583系下段の魅力。奮発してレア車のA寝台車にしようかとも思いましたが横になるとB寝台と全く変わらないのでやめました。

寝台内部から撮影。下段はそんなに狭くないですが以前乗った上段はマジきつい。

通路はこんな感じ。荷物が大きいとすれ違うのは難しい。

私は汽車慣れしていることや、旅の疲れもあって眠ることができました。途中数時間おきに目が覚めましたが(眠りの浅い周期は揺れで簡単に冷めるのだろう)、また眠ってしまいます。しかし5時を過ぎてトイレに起きると、窓の外が明るくなったこともあって眠れなくなり、意識を保ちながらもベッドでボーッとすることに。

終着大阪には6時49分に到着。たった1日の旅でしたがようやく帰ってきました。廃止も近そうだと思って乗った「きたぐに」が意外と混んでいたのは嬉しいのですが、583系の老朽化だけでなく新幹線との絡みで楽観できない状況です。大阪―富山間だけでもサンダーバード車両で残してくれないものでしょうか?

大阪からは快速電車で神戸に帰りますが、221系のシートのモケットが変更されていました。「JRの新車」としてもてはやされて22年、ようやくリニューアルの手が回ってきたようです

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